異性の体の一部に固執したり、その身につける物にたいする異常な執着、
フェティシズム(偏愛)は特に男性に際だって現れる性癖で、
女性には緩やかな形でしか現れません。
男性は視覚的に見えるもの、
つまりオッパイやハイヒールなどの物体に対しては執着しますが、
女性は視覚的なものよりは
女性は感情や物語的なものにたいして執着し、興奮します。
男性の視覚的な物に執着するのは
男性ホルモンのテストステロンによる化学反応作用と考えられます。
次のような特性とメカニズムが特筆出来ます。
- フェチの嗜好は男性の青年期に形成される
- 特定のフェチは一つの引き金で起こる
- フェチは生涯性癖として残る
概要
|フェチは男性の青年期に作られる
女性の体の一部や身につけるもの、そのスタイルに取りつかれる現象は
生物のオスに全般的におこる現象でテストステロンの活性に伴って
起こります。
メスはオスほどの際だったフェチは示しません。
フェチに異常性を示すのは人類の男たちです。
人間では10代中ごろから20歳前半に形成されると言います。
|男が基本的にこだわる女性の体
異性愛の男性はまずは女性の体に興味を示すのは
共通な部分に限られます。
それが基本形になります。
乳房、お尻、足、太ももが男性がどうやら共通に欲望を抱く上位に
なるようです。
男性によっては二腕に異常な性欲をもったり、首筋に欲情したり
様々ですが、それらは成長期に刷り込まれた性体験によって
それぞれ個性を表してきます。
基本的には大きなバスト、大きなお尻、豊かな太もも、小さな足に
男性は欲情します。
胸やお尻、太ももは女性の脂肪の蓄積箇所になります。
そこに充分蓄えられた脂肪は女性の健康度と赤ん坊に授乳する
能力を表しています。
つまり、たっぷりの脂肪は遺伝的にも正常で
寄生虫リスクもない健康体を示しているのです。
その男性の子孫を残す可能性が大きくなります。
女性は10代後半に蓄積される脂肪がピークになり、人生で一番の曲線美と凹凸備えます。
妊娠能力が最大になります。
男性が若い女性についつい目が行くのは妊娠能力の高い女性に惹かれる為です。
中学生・高校生は最大の皮下脂肪を蓄えることになり、最大のお尻と太もも
オッパイを誇ります。
しかし、近年出来る限り細い足と小さなお尻を求めて彼女たちがダイエットに励んでいることは
我々男性には悲しいことです。
|フェチは生物学的好みの表れ?
つまり男はこれからの自分の子供を産む能力と子育ての
可能性を女性のオッパイ、ヒップ、太ももに見ているのです。
巨乳とくびれたウエスト、大きなお尻は全世界共通のセクシーポイントです。
人類男性共通の生物学的な嗜好です。
足フェチの小さく可愛い足や引き締まった足首を求める嗜好は
エストロゲンが多いと足が小さくなるというホルモン作用を
男が読んでいるからです。
エストロゲンの多い女性は子供を産む機能が高いのです。
金髪好きも同じです。
金髪の女性はエストロゲンが強い女性です。
女性は男性の指フェチやお尻フェチ、声フェチなどが
存在しますが、これらはテストステロンの活性度を見ている現象です。
特に男性の薬指はテストステロンの分泌が多い男性が
長くなると言われています。
|後天的に刷り込まれるもの
男性が10代から20代前半に衝撃的な性体験や刺激を受けると
その要因となったものやその時目にしたものを偏愛する作用が生じます。
つまり生殖的に興味あるものにある個別の体験が加わることで
フェチの嗜好に個性が生じます。
例えば、大抵の男性はオッパイは大きければ大きいほどいいと
思っていますが、
若い時の性体験の女性がオッパイが小さくて
感じやすい女性と最高のセックスを経験すると
その男性は小さなオッパイフェチになります。
好きだった年上の女性のセクシーなハイヒール姿を妄想し、
オナニーに耽る行為を繰り返すと快感とヒールが強く結びつき
ヒールフェチになっていきます。
このように特別な性的な体験によって
特定の刺激に対して特別にこだわるようになり
それが欲情のトリガーとなりフェチ現象になります。
性的な後天的な刷り込みでフェチになっていくのです。
これらは報酬系のシステムが深く関わっています。
フェチは後天的な思春期の性的な甘い体験が引き金になっている
作られていきます。
因みに私は小学校の時にセクシーな未亡人教師がいて、
学校集会のときその女教師のふくよかでセクシーなふくらはぎに勃起してから
ふくらはぎフェチになってしまいました。
今でも胸、脚、顔の順に女性を品定めします。
|一生変わらない嗜好
若い時の体験で形成された男性の性的な嗜好は生涯引き継がれていきます。
それは日々の生活のなかでも常に顔お出してきます。
女性を選択する時の大きな要素にもなっています。
フェティシズムはエロチシズムの最たる現れでその人の性の衝動の
大きな引き金になっていきます。
その人間の生涯の性的な志向として
ある意味ではその人間の大きな快楽的な娯楽要素なのです。
個人的にも自らフェチに溺れることは楽しいのです。
(参照)